お気に入り記事の保存はアプリが便利!

ほぼ日刊イトイ新聞

2024-05-20

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・授業がおもしろくなくて校庭に目をやって、
 なにを見ているわけでもなく過ぎていく時間。

 線路のガタンゴトンを聞きながら、
 田んぼや林や遠くの山がずっと続く。
 動いていく景色を眺めている時間。

 空に雲があって、雲にはなにかのかたちがあって、
 無理をして見れば象に見えないこともないなとか、
 ああ、夏になったなぁとか思う時間。

 熱があって学校を休んだのだけれど、
 ずっと眠っていることもできなくなって、
 目に入るのは天井だけだから、それを見ている時間。

 海水浴とかいうものの、泳ぐのは疲れたし、
 遊んでいる人たちの声を聞きながら、
 水平線なんかをただ見ている時間。

 電車に座って、向かいの席の人たちの顔を順番に見て、
 この人は、どうしてここにいるんだろうなぁなんて、
 考えかけたり考えたりしている時間。

 初めての街中華で、チャーハンやラーメンを待つ間、
 壁にかけてあるメニュー板を眺めたり、
 くもりガラスの上の透明なところから
 道を通る人を見たりしている時間。

 旅先の町を散歩しているのだけれど、
 なんだかよくわからないところを歩いているなぁ、
 きれいでもないし珍しくもないよなという時間。

 ーーそういう時間のすべてを、いまは消してしまった。
 耳にイヤホンをつっこんでいる、
 たいしておもしろくもないスマホの画面を見ている。
 テレビのバラエティ番組が流れている。
 なんにもなくても時間だよ。
 そのなんにもない波にゆらゆら揺られていても、
 そこには微量の栄養素があるはずだったんだ。
 退屈な時間を退屈できない人間は、豊かとは言えない。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
もちろん、ほとんどこれは、じぶん自身に言っております。


ここ1週間のほぼ日を見る コンテンツ一覧を見る
ほぼ日の學校
吉本隆明の183講演
ドコノコ
ほぼ日アプリ
生活のたのしみ展
TOBICHI東京
TOBICHI京都